わが町のあゆみ
町の歴史をあれこれ辿る

はじめに

  わたしたちが住んでいる笹野台。今は大勢の人がここで暮らしています。地域の活動も活発です。人や車の往来も盛んです。

  でも、ちょっと立ち止まってあらためて考えると、自分が住む町笹野台について、あまりよく知らないまま過ぎているのではないでしょうか。今の笹野台になるまでに、この町はどんな歩みを続けてきたか、回りの地域とはどんな関わりを持ってきたかを知りたいと思いませんか。

  そんな気持ちから、私が経験したり調べたりしたことを少し語っていきたいと思います。

1. 笹野台の町ができる

上の写真を見てみましょう。どこだかすぐにはわからない方もあるでしょう。

  これは60年ほど前に、今の笹野台商店街の入口の東側あたりから今の笹野台小学校のある方向を撮影したものです。一面の丘陵地は畑の中に林が点在し、のどかな農村の風景そのものです。

  こののどかな場所の開発は、 昭和31年に横浜市が現在の笹野台2丁目(当時は保土ヶ谷区下川井町字大野) に三ツ境北団地を造成したことから姶まりました。その後、相鉄の楽老蜂団地などいくつもの宅地開発が行われました。相鉄の三ツ境駅に近いことや周辺の道路が整備されて交通の便がよくなったことなども開発に拍車をかけ、町は急速に広がって行きました。

  『笹野台』という町は昭和39年に誕生しました。地域は下川井町字大野、字天野、字笹山でしたから、その笹と野をとり、土地の形状が台地であるというので、この名前になったのです。同じ頃に隣の字金ケ谷も『金が谷』という新しい町になりました。保土ヶ谷区から分離して『旭区』が新設されたのは昭和44年です。昭和40年には、 地域の連合自治会が結成され、笹野台という町の特徴をいくつか挙げると、およそ次のようなことがいえると思います。

ア、笹野台は、昭和30年頃より開発が始まってできた新しい町です。住民の協力と努力
で発展を続けてきています。
イ、歴史的地理的には、 笹野台は川井地区に属していますが、この地域の暮らしは
  三ツ境という地域の特殊性の中で営まれてきています。 境について知ることも大切
です。
ウ、笹野台の発展は、 電車・バス・住宅など相模鉄道と深く関わりあっています。
エ、笹野台では自治会活動をはじめ地域の諸活動を大切にしてきている。

これらを念頭におきながら記していきたいと思っています。

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