わが町のあゆみ
笹野台いまむかし

13. 地域活動の充実と世代交代
 年号が平成に変わる頃から、笹野台・金が谷の地域もさまざまな変化が見られるようになりました。昭和61年の三ツ境駅改修で駅ビル「三ツ境ライフ」が完成した頃から、駅の周辺に高層のビルが作られ始めたりして、駅前の風景が次第に都市らしさを増してきました。商店街の様子も変わってきました。
 住民は、高齢化が進み、地域の活動を支える人達の顔ぶれも変わってきました。子供の保育を必要とする若い世代も増えてきました。自治会とともに社会福祉協議会が地域の活動を担うようになりました。

(1) 地域の変容
① 集合住宅
 市街地では、鉄筋コンクリートの高層住宅の建築が進み、駅前などには超高層の集合住宅も作られる昨今ですが、笹野台の地域を見ると、高層の大きな集合住宅は少なく、駅前の旧厚木街道沿いに道をはさんだ三ツ境側に向かい合って並んでいるくらいです。
 
 駅前の集合住宅としては、平成元年頃には笹野台1丁目1番地に出来た廣島第二ビルがそのはじめではないでしょうか。完成した時には、その階下に大型の電気店、2階に飲食店だの事務所などが入る複合型のビルでした。その隣には、平成10年頃にKNCビルが建設されたり、三ツ境名店街があった場所にはステーション・スクウェア三ツ境が建設されて、横浜信用金庫やいくつかの商店が入って、商店街の入口の風景も変わってきました。更に、東笹野台にはグランドメゾン三ツ境、エムケードリーム笹野台などが完成して、道をはさんだ三ツ境側の建物とともに旧道沿いはすっかり新しい市街地の様相を見せるようになりました。駅前から商店街にかけては、賃貸用の小規模な集合住宅がいくつかあって、多くは一部を店舗や事務所に使っています。

 駅前以外に作られた集合住宅は、建築規制の関係もあり、大部分は3階ぐらいの低層の建物となっています。昭和57年には笹野台三丁目に「三ツ境ハイタウンテラスハウス」が出来ました。斜面を生かした構造で独特の景観を呈しています。その後、三丁目に「ニックハイム三ツ境」、二丁目に「ソルクレスト横浜三ツ境」などが造られました。この住宅は「テラスハウス自治会」としい一つの自治会を作りました。ここはその後に隣接してできた「アルカサル」を含めて「テラス・アルカサル自治会」と名称を変えています。
 規模が大きかったのは、平成13年~14年、笹野台二丁目の市有地にできた横浜市営住宅「笹野台ハイツ」と、金が谷二丁目にあった桜井ゴルフセンターの跡に作られた「グランシティ・レディアントヨコハマ三ツ境」です。ここはこの団地だけで「グランシティ・レディアント自治会」を結成しました。

② 戸建住宅
 平成10年頃までは、このように集合住宅の建設が進められていましたが、ここ10年ぐらいの動きをを見ると、笹野台の住宅事情は少し違った様子が見られるようです。
 その一つは、集合住宅の跡に戸建住宅が建ったということです。地域には、中小企業事業団住宅(笹野台三丁目)やNTT日本電信電話公社住宅(金が谷一丁目)あるいは東洋電機社宅(笹野台三丁目)などがありました。どれも比較的早い時期に建てられたもので、建替えの時期になっていたのでしょうが、その施設の必要性が低くなったりしてたのでしょうか、建替えることもマンションに姿を変えることもなく、撤去後の跡地は整地し直されて、何軒もの戸建て分譲住宅が作られました。
 また、古くからの分譲住宅は所有者の高齢化にも関係して建て替えや住み替えが進んでいます。居住者が移転したり不在になったりした宅地の中には不動産業者に売却されるものも多く、それらは今までの一区画を2分割・3分割にして、新しい分譲住宅が作られている例も少なくありません。
 地域の中に残っていた林や空地でも住宅地の造成が進んでいます。笹野台小学校の西側の傾斜地が造成されて宅地化したり、金が谷のバス道路の西側には新しい住宅が増えています。最近では笹野台二丁目の市営住宅の隣りの林が伐採されて、宅地造成工事が進められています。この地区にはもう住宅地として使えるある程度の広さのある未利用地はほとんどないようです。
 この地域には戸建ての住宅に住みたいという希望がある人に人気があるようです。それはこの地域が住みよい環境にあるということを多くの人が感じているからでしょう。駅に近くて通勤にも買い物にも便利だし、高速道路のインターも近くにあり、周辺にはまだまだ緑の多い憩いの場所があったりするからでしよう。そして、地域を大切にする住民の気持ちも感じ取れるのでしょう。家のポストに不動産の広告がよくはいってきますが、それを見るとこの地区では「売家・売地」がありますというより、「この地域の売家・売地を求めています」という広告の方が目立つくらいです。

③ 商店街の変化
 商店街の様子もここ十年ほどの間にずいぶん変わりました。昭和61年の三ツ境駅ビル「相鉄ライフ」が出来て、人の流れもだいぶ変わりました。その後に駅前に大型電気店が出店したり、地域や隣接する所にいくつかのコンビニエンス・ストアも開店したりしましたが、平成10年頃までには笹野台商店街やその近くには、食料や日用品に関係する各種の商店が軒を連ねていました。平成10年を過ぎると、横浜信用金庫が商店街の入口に出来て便利になったりしました。
 しかし、その後閉店や転業する店も出てくるようになりました。長く親しんで来た米屋・パン屋・花屋・金物屋などが次々にと店仕舞いをしたり、医院や薬局・整骨院など健康関係の施設や店が増えたりしてきています。経済事情や住民の年層の変化などいろいろな理由はあるでしょうが、時代の流れで周辺の様子が変わることは、古くから住んでいる者にとっては何か淋しい感じもあります。
 変化はあっても、地元の商店会はその活性化をはかって、さまざまな行事を実施したり、連合自治会の諸行事への協力をしたりと頑張っています。

④ 健康や医療関係の施設
 健康関係の施設が増えたのは、この地域の高齢者が増えてきているという事情を反映しているようです。医療関係の施設では、近くに昭和62年に聖マリアンナ医科大学横浜西部病院が開設され、広域的な施設が地元にあるというのは、何かにつけて便利です。
 身近な所では、笹野台やその周辺に医院が次々に開設されました。それに伴って調剤薬局もふえました。三ツ境駅をはさんでこのあたりは、まさに医院と薬局の町です。そのほか、最近は整骨院もいくつか開業してきています。
 そのほか、老人のための施設としては、平成13年金が谷に「ほうゆう病院」もできて、診療や入院のほかデイ・ケアなどの事業を行っていますし、商店街には平成17年に「さくら苑ヘルパーステーション」ができて在宅介護に関する業務を受け持っています。長年横浜市に要望をしてきた「笹野台ケア・プラザ」も平成25年1月に開設されました。一般市民はもちろん高齢者の健康ということでは、笹野台地区は恵まれた環境にあるといえましょう。

⑤ 子供たちのための施設
 二世代同居の家が多かったり、新しく家を求めて転入してきた若い世代もいて、笹野台地区は他にくらべて幼児や学童の数があまり減らずに推移しています。笹野台小学校の児童数もここ何年かは大きな増減がないようです。
 笹野台小学校は地域との連携を大切にし、地域の行事などに職員や児童が参加しています。また、地域の人達は児童の安全を見守ったり、地域の様子や伝承などについての指導に協力したりしています。夏祭りでは、毎年盆踊り大会の始めに笹野台小学校児童の「笹小よさこい」踊りが披露されています。1月のどんど焼きにも児童が参加して行事を盛り上げています。そして、敬老会では児童の合唱などを披露したり、ジュニア・ボランティアの児童が案内をしてたりしています。ふりあい給食会でも児童がいろいろと工夫して老人たちを楽しませてくれています。
 放課後の学童の世話も大切です。以前は民間の学童保育だけに頼ってしましたが、横浜市の方針に従って、平成13年1月に「笹野台はまっ子ふりあいスクール」が開設され、放課後の学童保育が学校施設の中で行われるようになりました。現在では組織が変わり「放課後キッズクラブ」となりましたが、多くの学童が利用しています。

学校にあがる以前の幼児に対しても地域での助け合い支え合いが大切です。子育ての相談相手の少ない若い母親のためには、社会福祉協議会が毎月2回「子育てサロン」を開き、子供同士の遊びの場を提供したり、母親同士の交流や相談の機会を作ったりしています。公的な施設としては、平成14年頃に笹野台4丁目に「キッズビレッジつくし保育園」が開設されました。なお、長くこの地域で幼児教育に関わってきた笹野台2丁目の「マリー幼稚園」が平成26年に閉園となったことは惜しいことです。

 
    キッズビレッジつくし保育園         閉園となったマリー幼稚園

⑥ 交通事情
 鉄道や道路については、昭和の時代にはほぼ整備されました。平成になってからはそれらの保守や営繕が行われています。たとえば野境道路の舗装を直したり、駅前坂からのバス道路の街路灯を水銀灯に直したり(平成12年)しています。その後各自治会内の街路灯がLED電球に逐次直されています。
 児童の通学安全のためには、学校を中心に区役所・警察署・地域の関係者で『スクールゾーン協議会』が設けられ、毎年通学路の点検や、施設の改良について検討しています。何か所か信号機の設置の要望もしましたが、設置の条件に適合しない箇所も多いようです。それでも歩道の区分を示す新たな白線を引いたり、横断歩道の整備をしたりという手当は行われてきました。
 平成11年には、横浜動物園ズーラシアの開園に伴い、三ツ境からのバス路線ができて、金が谷方面りのバスは本数が増えて利用しやすくなりました。
 歩行者の安全についても連合自治会や老人会の努力で改善されてきました。平成7年頃までは、駅の上の旧厚木街道には、瀬谷区側の歩道に放置自転車がたくさんあり、歩行の妨げになっていましたが、関係方面へ働きかけてそれを撤去することができました。その後駅前に自転車の置場が設置され、駅付近の放置自転車の問題はなくなりました。
 笹野台はどちらを向いても坂です。ある人は「笹野台ではなく『坂の台』ではないの」などと冗談を言うほどでした。勾配が急なので、坂ではなく階段になっている箇所も多く、高齢者にとっては、その上り下りは苦労でした。平成14年頃のことでしょうか、NHKの「ご近所の底力」という番組が「坂道の多い地区で、ご近所同士どのように対策を考えているか」と取材の打診がありました。それほど坂道の多い住宅地だということだったのでしょう。しかし、自分達の力だけで坂をどうにかできるものではありません。この取材の話はそれだけで終わりましたが、それに先立って、各老人会の会員は手摺の必要な階段や道路の障害物などを実地調査し、新しく手摺を設置してもらったり障害物を取り除いてもらったりして、自らの手で住環境の改善を働きかけていくことの大切さを実感したりしました。

⑦ 地域活動の拠点
 地域の人が知り合い、支え合い、高まりあうためには、地域の人が集まる施設が必要です。スポーツなど野外活動では、笹野台北公園や笹野台緑地がありますし、笹野台小学校も利用させてもらっています。地域の諸団体の会合や、研修会、サークル活動などには、連合自治会が所有する『笹野台会館』が今まで唯一の場所で、利用者が混み合って困るほどでした。「地区センター」のような公的な集会場が地域にあったらと、連合自治会では関係方面に長い間折衝を重ねてきましたが、やっと平成25年に『笹野台ケアプラザ』が開設されました。ケアプラザの自主事業のほかに地域の各種の事業にもここが利用できるようになり、住民のための地域活動の内容も豊富になってきました。地域活動の拠点が確保され、住みやすさは増してきました。

(2) 連合自治会・社会福祉協議会
 設立30周年の頃から、連合自治会・社会福祉協議会など地域の組織は、従来に変わってより組織的・機能的な方向に向かい始めました。また、地域活動の担い手の交替が目立つようになってきた。従来からの活動の継続と時代の変化に応じた活動の変化をどのように進めていくかが課題となってきました。
 社会福祉協議会という組織が、いつからこの地域にできていたのか確かな記録が見つかりません。旭区社会福祉協議会という組織もできていましたが、平成3年にそれが法人化されました。それに伴い、笹野台地区社会福祉協議会もそれを構成する一員となりました。連合自治会と社会福祉協議会の二つの組織は、それを構成する地域が同じなので、両組織の会長は同一人が兼務、担当する役員も同じ顔触れで運営していました。それぞれの役割分担も明確ではなく混然としていました。
 二つの組織は、それぞれの目的や機能を明確にして活動することが望ましいということで、平成13年に連合自治会にも社会福祉協議会にもそれぞれ別の会長を置き、役割分担と協力体制を明確にしようということになり今日に至っています。

① 笹野台地区連合自治会
 笹野台連合自治会は、昭和42年に結成され、次の13の単位自治会で構成されています。
   境友自治会  昭和32.8.4設立
   中央自治会  昭和39.4.1設立
   東笹野台自治会  昭和39.4.1設立
   楽老峰自治会  昭和39.4.1設立
   露木ヶ丘自治会  昭和39.4.1設立
   富士見が丘自治会  昭和39.4.1設立
   岸本自治会  昭和39.4.1設立
   金が谷自治会  昭和40.6.1設立
   山百合自治会  昭和46.1.25設立
   向日葵自治会  昭和56.4.1設立
   テラス・アルカサル自治会  昭和57.12.21設立
   南笹野台自治会  昭和62.4.1設立
   グランシティレディアント自治会  平成13.4.1設立
 連合自治会の中では、各自治会のほか次のような各種委員や地域団体が活動しています。
   民生委員児童委員連絡協議会
   青少年指導員連絡協議会
   スポーツ推進委員連絡協議会
   笹野台地区連合子供会
   旭区老人クラブ笹野台支部
   旭区消防団第4分団第6班
   旭交通安全協会笹野台支部
   保護司
   保健活動推進委員
   環境事業推進委員
   家庭防災員
   消費生活推進委員
   笹野台昼食会
 連合自治会では毎年の定例行事として、役員研修会、北公園・自治会館等の一斉清掃、夏の御輿祭り・盆踊り大会、秋の連合体育祭、合同防災訓練、賀詞交歓会などの行事を行っています。
 また、旭区役所との地域懇談会(タウン・ミーティング)や、近隣連合自治会との交流、小中学校の諸行事への協力や支援、ケア・プラザ・地区センター行事への協力などに努めています。
 連合自治会の会長は、初代の常盤豊次郎(S42~50)会長から、廣島敏雄氏(S51)、清澤嘉右衛門氏(S52~59)、吉田仁作氏(S60~H1)、西岡秀男氏(SH2~12)、河上幸一氏(H13~16)と続き、現在は高橋久蔵氏(H17~ )が務めています。連合自治会は、会長を中心に役員の皆さんが結束して「きれいな町」「住みよい町」「安心して暮らせる町」づくりをめざして活動しています。

② 笹野台地区社会福祉協議会
 地区の社会福祉協議会は、笹野台地区連合自治会内における社会福祉事業の運営と組織活動を促進し地区住民の社会福祉の増進を図ることを目的とした組織です。連合自治会と車の両輪のように協力し合って活動を進めています。
 活動の拠点として、平成17年に笹野台会館の敷地の一角に、事務所を開設しました。その頃より活動も次第に活発となり、地域の民生委員協議会や老人会、さらにケア・プラザなどと連携しながら、その内容も充実してきました。
 年間の大きな行事としては、敬老会、どんど焼き、福祉講演会等を行っています。常時活動としては、老人対象の笹野台昼食会、子育てサロン、個別支援活動(ちょっとしたお手伝い・お出かけ支援)などがあります。昼食会は、昭和55年からの実績もあり、平成24年には秋の叙勲で緑綬褒章の栄に浴しています。講演会は、介護問題、認知症予防、救急処置、相続問題、育児や児童問題などを取り上げてきています。
 地区社会福祉協議会の会長は、西岡秀男氏(H3~12 連合自治会長兼務)、吉田米吉氏(H13~16)、福井昭二氏(H17~18)、鈴木紹男氏(H19~24)、現在は近藤和義氏がその任にあり、従前にも増した活動を展開しています。

③ 広報活動の充実『ささのだいニュース』
 自治会や社会福祉協議会などの地域の情報や活動を知ってもらうには、広報活動が大切です。行事の案内や大切な情報はその都度知らせてましたが、恒常的な地域全体への情報伝達の仕組みは、予算面や人手の関係からなかなか難しい状況でした。連合自治会関係については、通じての伝達もできますが、下部組織のない社会福祉協議会では、平成7年頃から広報誌『ふりあい』を年2回定期的に発行し、全世帯への配布が続けられてきました。はじめは、A3判両面の白黒印刷でしたが、平成20年頃より見やすさ親しみやすさを考え、写真などを多く載せたカラー印刷に変わっていきました。
 平成24年になって、自治会・社会福祉協議会が一体となって、広報誌の果たす役割の重要性を考え『笹野台新報社』が設立され、地域情報誌『ささのだいニュース』が発行配布されるようになりました。これは、地域活性化のためにまことに喜ばしいことです。
 

 さらに平成26年には『ささのだい』ホームページが開設され、いつでも地域の必要な情報が見られるようになり、大勢の人の利用を待っています。
 最近の地域の様子は、『ささのだいニュース』や『ささのだい』ホームページを見ていただければよくわかると思いますので、この『わが町のあゆみ』もこちらで閉じたいと思います。

おわりに
 笹野台新報社の近藤会長からの依頼で、この『わが町のあゆみ・・・笹野台いまむかし』を書き始めて1年半近くの時が過ぎ、やっとどうやら現在のところまで漕ぎ着けました。
 自分の住んでいる地域が今までどんな場所でどのように発展してきたかを知る資料は案外少ないものなので、一応この辺りの歴史的な流れはまとめられましたことは私自身もいい勉強になりました。見直すとまだまだ満足できるほどのものではありませんが、この笹野台を知り、笹野台を愛する方にこれが何かの参考になれば幸いです。ご閲覧いただきありがとうございました。
 笹野台は町としての歴史はやっと半世紀を過ぎたところです。住みよい町、まとまりのよい町として笹野台は他の地域からも注目されています。この町の開発発展に努力してきた人達はすでに亡く、その活動を見たり引き継いだりしてきた人達も齢を取りました。地域の活動を支え進める人は大きく世代交代をしてきています。ここを故郷として育った人たちも多くなりました。先人たちの有形無形の町作りの努力を知ってもらい、それを引き継いで更に新しい発展のあることを願っています。
 終わりに当たり、拙い原稿をホームページとして見られるように編集してくださった笹野台新報社の皆様のご尽力に感謝申し上げます。

平成27年5月  福井 昭二

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